結城政朝、宇都宮御前、沢村御前、氏家古奈、那須政資夫人

結城氏広の息子、下総結城城主の結城政朝が通りかかる殿様。

那須資親の娘、宇都宮成綱夫人の宇都宮御前が、山芋掘り子供。

結城政朝の娘、結城顕頼、那須資永の妹、沢村三郎夫人の沢村御前が、山芋掘り子供の姉。

氏家行広の娘の氏家古奈が氏家の殿様。

岩城常隆の娘の那須政資夫人が阿久津の殿様。


「塩谷の殿様ばなし」

(栃木県塩谷町の昔話)

むかし、栃木の塩谷というところにこういう殿様がいました。


ある日の子供が山で山芋掘りをしていました。

CA7F86C9-D3E4-4B2F-9450-5AFFA221E96A.jpeg そこを殿様がお通りになって、「ここはなんというところじゃ。」と、お聞きになりました。
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子供は、振り向きをしないで、

「これはところだか、これは山芋だか、掘って見なくっちゃわかんねえ。」と答えますと、

「いや、そうではない、村の名前だ。」

と、重ねて申された。

86FBDBA4-CAB0-49F3-B6EF-D8B650E867A8.jpeg ちょうど子供の姉は、おむらという名前だったのですから、姉のことを聞かれたのかと思って、

「あんねのおむらやんは、昨日お客に言っていねえや。」と答えました。

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殿様が、

「そう人をあげ足とってからかうものではない。」と申されると、

「今日くっか、明日くっかわかんねえ。」と言いましたので、

B145F08E-ADD7-46F8-96A3-FA28ADE56674.jpeg殿様は仕方なく行ってしまいました。259C958A-C041-4AA9-B663-99B794E1D442.jpeg


さらに殿様ばなしがもうひとつ。

むかし、氏家と阿久津の境だった上阿久津の坂を上がったすぐのところに逢坂(おおさか)と呼んでいた.

こんな境にあるとは、ワケがあります。

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氏家の殿様と阿久津の殿様は、領地の境をめぐって長い間争いましたが、いつになっでも解決にはなりませんでした。
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やがて、いつまでも争っている愚かさを悟り、お互いに正午に自分の城を出発し、出逢ったところを境にしょうではないかということになりました。

どちらも少しでも余計に自分の領地にしたいので、今かと今かと待ち構え、いよいよその時になると、馬に乗ってさっと飛び出しました。

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けれど、阿久津の殿様は途中で道草を食っていたので、この坂の上で氏家の殿様と出逢ってしまいましたのでした。

これが逢坂の始まりでした。

   (おしまい)

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