称野原の方、小場の方、鳥田武通夫人、宇佐美長元の娘、明智美津(新春歴史水着クイーンスペシャル3)

明智光秀の娘、今西春房夫人の明智美津が、村人、白鳥。
久貝正俊夫人の宇佐美長元の娘が、村人、牛。
小場宗義の娘、戸村義国夫人の小場の方が農牛。
清水景治の娘の称野原の方が農牛。
杉元相の娘の鳥田武通夫人が村人、農牛。

「農牛と農鳥」
  (山梨県甲斐市の昔話)
むかしのこと。
北巨摩には、茅が岳の村々は昔から水飢饉に苦しんでいました。
毎年夏が来ると 、日照りが続いて田んぼも畑も枯れそうになるので、村の人たちは鳳凰山に雨乞いにのぼりました。
6D67FB58-93A0-4893-A053-B9144C0A7443.jpeg
山の神様はこれを哀れんで、黒毛の農牛と、白斑(しらふ)の農鳥を呼んでいいつけました。
「お前たちはこれから入って池を掘ってこい。」
そこで、農牛と農鳥は夜なってから穂坂村の地内に行って池を掘り始めた。
「夜明けなったらお前が鳴けよ。それを合図に山へ帰ろう。」
BE5C3541-2FD3-4476-9BFF-461D2292F65A.jpeg
そういう約束をして、二人は毎晩一生懸命に池を堀り、夜が明ける頃、農鳥が鳴くとそれを合図に二人早く引き上げて山に帰った。
145955D5-444D-46C2-9DF7-AD00F716CD77.jpeg
こうして、2つの池は、だいぶできたが、ある晩二人はあまり熱心に働いていたため、夜明け頃になっても、農鳥が時を知らせるのを忘れていました。気がついたときもうすっかり明るくなっていて農業は山へ帰ることができません。
261664B7-1EDA-4E89-8242-E1CDCB806759.jpeg
そのまま池の傍に石と化して、今も牛が寝た形の石が残っており村人は牛石と呼んでいます。
6E13A2DF-24E4-48DF-BC8C-4DB2A5ED6727.jpeg
農鳥だけは急いで西山へ飛び帰りましたがこれで池を掘ることはどっちも中止となりました。今も牛池と鳥の小池は残っておりますが、この二つの池は、どんな日照りの年でも少しも水が減ることはありません。
4721B5B4-4C61-4F53-9C79-EFCA579564DA.jpeg
また、この鳥が飛び帰った山は農鳥岳と呼ばれて、白根山のうちにそびえています。6036F696-58BE-492F-AC2D-C18B7408C6C4.jpeg
毎年農業初めの頃になると、この山の雪が白鳥が首を伸ばした形に消え残り、次に牛の形が現れます。
38072B64-A15A-457B-9422-774F85138628.jpeg
春になると、鳥の形が山に現れると、百姓たちは、「早く農鳥を見えたで、苗の間を作らねば。」と言って、苗代に籾種をおろし、農牛の形が見えると畑に大豆や小豆をまきつけます。
64452BEB-7147-44E4-A1DF-DD912233F4E1.jpeg
また、農牛 の形は秋にも、現れることがあって、秋の農業が見えると秋農の麦まきがはじまり、この山の見える村人たちは言っています。
なお、この山の残りの雪は鍬などの農具の形に見えることもあるということでした。
  (おしまい)32BF56EA-B65A-49D7-B4B4-7D7726F8A14E.jpeg

ブログ村
http://illustration.blogmura.com/humanillust
http://history.blogmura.com/his_sengoku
http://history.blogmura.com/his_nihon
http://history.blogmura.com/

"称野原の方、小場の方、鳥田武通夫人、宇佐美長元の娘、明智美津(新春歴史水着クイーンスペシャル3)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント